私は、月に一度同じ理髪店で散髪をします。以前は会社の近くで散髪をしており、市中心部にあったことから一度の散髪代は3,200円でした。しかし、最近は、人口密度が低く、土地代の安い家の近所の理髪店で散髪をしています。一回の散髪代は2,500円で、クーポン券(前回の支払時に必ずもらえる)を利用すれば、2,300円まで値引いてくれます。2つの理髪店を比べた場合、髭剃りが家の近所の方がやや雑であるものの、所要時間が30分程度と短い上、待っている人が多い時は、いったん家に帰ってから、時間又は日を改めて、また理髪店へと赴くことができるなどのメリットがあります(家から歩いて1分もかかりません)。一方、会社の近所の理髪店は、待っている人が多い時は余りないのですが、待っている人がいれば、また後日ということになります。確かに、会社の近所の方の理髪店は髭剃りがとても気持ちいいです。丁寧に扱ってくれて、いつも寝てしまうくらいで、月に一度の楽しみと思っていたくらいです。
散髪をしながら考えていることがあります。理髪店の従業員の労働生産性のことです。彼らにとって労働生産性の向上とは、散髪代を引き上げないとすれば、1人当たりの所要時間を減らし、単位時間当たりでより多くの人たちの散髪をすることを意味します。しかし、カリスマ理髪師がいない限り、拘束される時間すべてが埋まるには、訪れる顧客が少なく、空き時間が多くなるばかりであるのが理髪店の実情でしょう。従って、彼らにとって労働生産性を引き上げる手段は、散髪代の引き上げという選択肢しかないことになります(トニックやシャンプーのコストの削減も考えられますが、余り効果がなく、限界がある)。
ならば、引き上げの代償として、利用者として得たいのはより多くの便益です。しかし、よっぱどのことがない限りは、散髪をした結果は結局同じです。髪の毛が短くなり、髭を剃ってくれて気持ちよかった点で、3,200円の理髪店も、2,300円の理髪店も大差はないと思います。結果、私は、2,300円の理髪店へいくことを選択しました。厳しい世の中ですね。
ここで一つの仮定を考えましょう。2,300円で散髪をしてくれていた家の近所の理髪店が、髭剃りを丁寧にしてくれるという条件で、値段を3,000円へと引き上げをしたとします。この値段の引き上げは、統計上、どのように現れてくるのでしょうか。いくら髭剃りを丁寧にしたからといっても、残念ながら散髪は散髪に過ぎません。つまり、労働生産性を高めようと思って散髪代を引き上げたとしても、それは労働生産性の向上ではなく、物価の上昇としか捉えることができないのです。ここにサービス産業に悲哀があります。そして、散髪代の引き上げは、利用者数の減少へとつながり、理髪店の収入は逆に減少する可能性もあります。事実、家から5分程度歩いたところには、1,000円で散髪をしてくれる理髪店があります。この価格帯を提示する理髪店は洗髪をしないケースが多いですが、価格差を考えれば1,000円の方を選択する可能性が十分にあるでしょう。
上図は、産業別の税込現金給与の比較を示したものです。グラフからは、建設業以外の業種で2005年から2010年にかけて給与が減少していること、金融・保険業を除き、サービス産業は製造業と比べて給与水準が総じて低いことなどが読み取れます。脱工業化と叫ばれ、わが国では第三次産業へと労働のシフトが進んで久しい。国内産業のサービス化という非可逆的な流れの中で、これらサービス業の雇用を維持した上で、労働生産性をいかに高めるかが、デフレから脱却するための課題だと思います。
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