2012年3月7日水曜日

「お金」と人類の発展

2012年2月26日に放映されたNHKスペシャル「ヒューマン」をみました。番組は「お金」と人類の発展を説明した意味深い内容であり、改めて「お金」とは何かという疑問が生じました。番組冒頭で、今から6,000年も前の紀元前4,000年頃に人類史上初の都市テル・ブラクがシリア北西部で形成、人口規模は1万人にも達したこと、そして、その原動力になったのが実は「お金」であったことを紹介しています。発掘現場の過程で、当時使用された「お金」が小麦であったことが判明、この小麦を介して活発に産品が交換され、ついには職業という概念が生まれたとしています。つまり、「お金」により分業が進み、それが飛躍的な生産性の向上(番組では小麦の生産量が3倍に増えたとしている)をもたらした結果、その後の急激な人口増加へとつながったそうです。
 もっとも、小麦の「お金」は時間がたてば劣化しますし、相手との信頼がなければなかなか取引が成立しないなどの欠点があり、広範囲の交易には適さなかったようです。その後、ギリシャのアテナイで裏面にフクロウの図柄が刻印された銀のコインが鋳造されました。それからは、異民族との間での取引でもコインが使用され始め、民族の壁を超えた経済発展へとつながりました。これは、フクロウの刻印がされているアテナイの銀のコインには、銀が16グラム含まれていることが広く認識された結果であり、産品の提供する者は安心してアテナイの銀のコインを対価に産品の交換に応じたからです。しかし、アテナイでの銀の産出量が減るとともに、アテナイの経済的な地位は低下、その後、ローマ時代へと移っていったのです。
 ローマ時代は、有限な資源である銀を有効に使用しました。ローマの銀コインは、当初、銀の含有量は98%であったものが、時代がたつにつれ、含有量が徐々に減少、最終的には含有率は2%にまで低下しました。含有率低下に伴い、含まれている銀そのものの価値ではなく、ローマ帝国が与える信用を後ろ盾にコインは流通しました。つまり、コインは、そのものに自体に価値はないものの、何らかの信用により価値が保証されたものへと発展したのです。これは、今でいう不換紙幣(ゴールドと交換可能なのは兌換紙幣)の原型みたいなものであるといえます。何の価値もない紙切れに人々は価値を見いだし、取引手段として積極的に利用している点では機能はほとんど同じです。
 番組では、面白い実験をしていました。人間は、「お金」を手にすると、脳にある腹側線条体の活動が活発化するそうです。これは快楽を感じる部位であり、「お金」を得るという行為は、無限の欲望へとつながるそうです。ここで、2人を対象とした実験をしています。一方に80ドル、一方に30ドルを与え、その後80ドルを与えた方にさらに50ドルを与え、格差を拡大させた時と、30ドルを与えた方に50ドルを与え、2人の金額を同一とした時の同部位の活動状況をチェックしています。結果は驚くもので、2つのケースともに腹側線条体の活動が活発化するものの、2つの目のケースのように2人に与える金額を平等にした方が、活動の度合いは5倍も大きいというものでした。つまり、人類は、経済の発展に不可欠であった「お金」に対する無限の欲望という機能を脳内に持つとともに、相手と公平でありたいという機能も同時に得たというのがの実験者の見解です。
 ここで、経済に話を戻します。一国の経済にとって必要な貨幣(ここでは経済用語である貨幣をあえて使用します)はいくらかという問題です。貨幣には、価値尺度、流通手段、そして価値貯蔵の3つの機能があります。このうち、古典派の経済学が重視した機能は、価値尺度と流通手段です。貨幣ストックM、貨幣の流通速度V、物価水準P、実物経済Yとすると、以下の式が成り立ちます(注)
これが有名な、古典派の貨幣数量説に基づく「貨幣の数量方程式」です。これは、マネーストックMの増減は、実物経済Yに与える影響することなく、流通速度Vが安定しているとすれば、もっぱら物価水準Pへと影響するという考えです。古典派は、これを「貨幣の中立命題」「貨幣のヴェール観」といっています。しかし、人類の長い歴史の中で、貨幣に対する欲望は、これとは異なるのではないでしょうか。脳内に持ち得た機能から察するに、人類は貨幣に対して価値尺度や流通手段といった貨幣の利便性ではなく、価値貯蔵の機能に執着していたという姿が浮かび上がってきます。
 それでは、ここで日本経済の具体的なデータを紹介します。右図は、名目GDP、日銀券発行残高、「マーシャルのk」の推移を表したものです。「マーシャルのk」とは、日銀券発行残高を名目GDPで除した値で、一定期間の取引をするに当たって、どの程度の貨幣を必要とするかを意味しています。貨幣が取引需要だけで保有されるのならば、物価が安定している限り、「マーシャルのk」は安定しているとされます。しかし、わが国では、名目GDPに比して保有する現金の残高は増加しています。クレジットカードや口座引き落としの普及を考えれば、貨幣の取引需要が減少するはずです。これは、わが国で「マーシャルのk」が上昇している背景には、価値貯蔵の目的で保有されている可能性があることを示唆しています。
 これも、人類の発展の過程かもしれませんが、わが国は、発展途上のような気がしてなりません。脳内の腹側線条体は相手のことを思うという機能ではなく、もっぱら貨幣の保有して自己満足に陥っているような気がします。自分しか信頼できず、貨幣をなかなか手放そうとしない、つまり消費をしようとしない、今の日本人の姿は、ひたすら貨幣への欲望を増幅されている数千年も前の権力者とオーバーラップします。
(注)中谷巌『入門マクロ経済学』、pp189-190、日本評論社、2007年。

0 件のコメント:

コメントを投稿